岡山東部 連合会 講話

2025-08-05UP!

  

神様は何一つ無駄事はなさらない。

そうなら、2009年5月14日この町田教会を探し出し朝参りを開始したことも偶然ではない気がする。振り返るとすべてが、神様のお計らいで、神様の願い、人が助かりさえすればという1点につながっている気がします

我が家にこの信心が伝わってきたのは昭和6年、私が生まれる13年前、母の実家の両親が津久井教会の熱心な信者さんだったそうです。母が嫁いできた時、私のおじいさんは脳溢血で寝たきりだったそうで、母のご両親は津久井教会のご神米とお神酒を持ってたびたび見舞いにこられ、お神酒を口で吹いてかけてくださりお見舞い下さったそうで、そのおかげで3か月ほどでおじいさんは畑に出られるくらいまで回復し、私の父はびっくり仰天、すぐに津久井教会に入信、それ以来我が家は両親そろって熱心な信者さんになり、親類縁者を信者に誘い、村の区画整理や境川に橋を架けるなど人を助ける信心をすすめ、そのおかげで村でも有数の豪農になっていったそうで、親父の口癖は、人を立てれば蔵が建つ、人のためになれ、人を助けてわが身助かる信心を徹底実践していました。親父の口ぐせは、金光様は出世の神様だぞ、一生手離すな。そんな影響もあり、高卒で会社に入った私ですが、20代で大阪万博の展示物、世界初のIDカード、顔とカードを一体で撮影する世界初の顔写真付きIDカード作成システムを開発し 万博に出展し、たまたま撮影した警察庁長官の目に留まり、他人の免許証が使えない、これこそ未来に免許証だと、さっそく日本の免許証作成システムに採用され、其の後、私は出世街道へ 数々の世界初の発明をしてゆきました、写真の推薦を無くした無水洗カラー写真処理システムは膨大な水資源と熱エネルギーをセーブし、科学技術庁長官賞を戴その後紫綬褒章をもらうことになる、工場でしか処理できなかったカラー写真を街で1時間で仕上げるミニラボシステムの開発や世界初のカラーコピー機など、世の役に立つ数々の開発で、出世の神様 金光教で大きなおかげを戴きましたが、両親が亡くなった後は津久井教会も親先生の田谷八重先生が亡くなり、後継者の文明先生もまもなく後を追いお国替え、その後20年近く、私と妻で津久井教会を維持してきました。毎月の月例祭を妻と私で準備し横浜の親教会神奈川教会の福田先生に来ていただきお祭りを仕えさせていただいていたのですが、教会のご長男の強い要望で教会の土地を返して欲しいとのことから津久井教会は閉鎖となってしまいました。

おそらく熱心な金光教の信者の親父の教え 人を立てれば蔵が建つが、なければ

その後 金光教の別の教会に行くようなことはなかったと思うのですが

55歳の折、思いもかけず紫綬褒章をいただき、授賞式の、豊明殿で当時の陛下(上皇)から、良い研究をされましたね、未来の日本の事もよろしくお願い致しますとお言葉をかけられ髪の毛が総毛立つほど感激し、その晩の受賞記念祝賀会の後ホテルの部屋で妻に、定年後は、私は死んだと思ってほしい、陛下のように私も、「写真技術で社会に恩返し」したい、定年後は年金でゴルフではなく、日本の健康を救いたいそのために事業を興す、退職金も、株も貯金もすべて使わせてくれないか?お前は年金で喰っていってくれと頼みました。意外にも、好きにしたらどうせ止めても辞める人ではないからと、定年後のお宝を使わせてくれるありえない答えを戴き おそらく これも神業 私に人を救う何かをさせたかったのだと思います

46歳くらいからなぜか写真の液剤を錠剤化したくなり、これほど難しい技術はない、し しかもお客様のメリットは大きいが、コニカのメリットは少ない議jつ開発を無理やり実現していたのですが、この写真の錠剤議jつが定年後陛下とのお約束の健康にお役に立つとは全く知りませんでした、、

コニカミノルタを定年後、顧問として2年残り、世界のデジタル写真の規格統一のまとめ役として松下、東芝、ソニー、富士、コダックなどの話し合いを進めPASS規格という業界スタンダードつくりを進めていたのですが、完成した2006年1月コニカが写真から撤退するというのです 私がまとめ役で世界のデジタル写真の新規格を作っているのに、コニカがはしごを外す、62歳でした。

写真のお客様のおかげで安政年間から 社員も家族も 育てられてきた 写真のお客様に 恩返しもせず 写真を塵ひとつ遺さず捨てるとはコニカは何事か❔許せんと怒って この事業を会社を興して 始めてしまうのです 陛下とのお約束はすっかり忘れてしまっていたのです。で次タウ時代の写真文化を救いたい.その一念でした 

それなら 私が自費で写真事業を引き継ぎ 写真のお客様に恩返しする 写真は私が引き継ぐから 私のデジタル関係の特許はすべて私にくれと会社に談判し、有料でしたが特許の譲渡が認められました。

でも みんなから止められました。

小星さんやめて デジタルで会社創るの無謀すぎる デジタルの開発は数億では足らない、個人では無理??絶対に失敗する 意地で そんなことやらないで

折角の退職金も 何もかも失いますよ。と仲間や部下が、真剣に止めて言いました。

デジタルの開発なんか個人でできるわけないじゃないか?と、

それでも、周りの忠告は全く受けつけず、 妻には 4年前の様に、教祖様の真似をしたのではないですが、私は死んだと思ってくれ 年金だけで喰っていってくれ、退職金も貯金も株も みな使わせてほしい、写真技術で写真のお客様に恩返ししたい、社会に恩返したいんだ 人を助けたい 写真を救いたい、そう言ったのです

本当は健康問題だったはずですが、この時は、写真を救いたいそう思ってしまったのです

そう言って妻に頼んだんです。ふつうは退職金も株も預金も定年後の大事な資産、苦労して 定年を迎え、これから年金以外ない中でそんな危険な事業をやるなんて、許されるはずはないのですが、

妻は、4年前と同じように

そお、好きにしたら、どうせ何かやってなきゃあ、すまない人なんだから

と許してくれました。

本心はわかりませんがあり得ないことですから、これも神様がさせた事なのでしょう

顧問を辞して 2006年 10月 62歳で起業しました。

しかし結果は皆さんが忠告した通り デジタルの開発3年で 全財産使い果たし、

7000万円程度の借金と家と土地を抵当に入れて 後ほぼ倒産確実のような

暗――い状態となってしまっていたのですが、まだ余裕がある 2009年5月

この先 なんとなく 危ないなという明確な不安を感じ始め  

津久井教会は先生がいない廃墟のような協会なので、何処か先生のおられる教会へ朝参りしたい、神様に助けていただきたいと漠然と思うようになりました、

何とか助かりたかったのだと思います

親教会は横浜で遠いし あまり助かりそうもないし そんな感じでした

私は神奈川ですので東京都とはお付き合いはなかったのですが 家の裏の境川をこえれば、5分程で、すぐ東京都になります

ここの国道16号の電信柱に金光教町田教会という看板が貼ってあったのを数年前から知っていましたが行ったことはありませんでした

ここに行ってみよう 近いから朝参りもできるなと、改めて町田教会を車で探し始めました

よくもまあ、こんな辺鄙な山奥の山のてっぺんに車も登れないような坂の上に教会を開いたものだなというようなところで 最初は何度車で見つけに行っても見つからなかったのです

東京都で最後に開かれた開教10年間もない小さなぼろぼろの教会でした、信者さんなんかいるはずがないような小さな質素な貧しそうな教会でした。。

金光教は奉納のお金を一切求めないから 布教も一切しないからどの教会も貧乏です清貧の教会 人を助けることだけに集中し 神様を売り物に市内素晴らしい宗教ですが

お参りしてみると 80歳に近い川越先生はともかく 奥様が素晴らしい方で、優しいし 気さくで 明るい 私は毎朝5時に起きて、5時半には朝参りをはじめ、先生にお取次ぎを いただきました、信者さんは全員集まっても7,8人程度で、先生は、他に仕事もなく人の助かりだけ祈っていますが、数年前はサラリーマンだった熱心な信者さんが修業して先生になった、定年後10年過ぎたご老人が開いた協会で、生活はとても清貧で苦しそうな小さな教会でした。まだ息子さんの若先生は御本部修行中で教会にはおられませんでした。 

びっくりしたのは 最初のお参りの日、

小星さん吉兆や 御燈明に華が咲いたよ、川越先生がそう教えてくれながら見せてくれたのが、事業の苦しい状況を2時間ほど話した後でした。部屋には風一つないのにローソクの蠟が大きく外にたれながら龍の髭のように上に丸く跳ね上がる不思議な現象が起きたのです、しかも左右同じように起こったのです。

不思議な事があるもんだなアと思いながら、半信半疑でお話聞いて 家に帰ったあと、その日は  東京ビッグサイトでデジタルアルバムの展示会を主宰していました、

ところが思いもかけない 弊社のその後の事業の柱になる炭酸泉入浴剤事業の開発につながる話を持ち込んだ人がブースに午後訪ねてきたのです

その時はまだ、デジタルの事業に夢中になってしまっていましたが

和歌山のノーリツ鋼機の元常務 間所さんが ブースを訪ねてきて、いうのです、小星さん 以前検討していた炭酸泉の錠剤の開発はどうしたのか?

重曹とクエン酸を早く固めてくれないか。安藤さんという友人が 重曹とクエン酸を粉のまま販売しているが、事業が苦しいというのでお金を貸してあげたが、返してくれない、小星さんなら、錠剤化してもっと儲かる事業にしてくれるのではないか?彼が返済できるよう成功させたいので、デジタルもいいが、炭酸泉もなんとかやってくれないか?と思って今日は出てきたというのです

 そうだ 忘れていた、陛下のお言葉に感激し、その直後、アメリカ周りでドイツに行き、あんまりの激疲労に耐えかねて フランクフルトの近郊のバドクロチンゲンという温泉町(2万人くらいの街に7つの温泉療養施設があり、健康保険で4週間湯治ができガンや糖尿病まであらゆる病気を対象に自然療養がされていた)にバドクラシカという

温泉館で2泊たっぷり温泉に浸かったのでした。1晩で時差が取れぐっすり眠れ、2晩でで劇疲労も取れ 寝起きがすっきり お肌もつるつる 温泉館の前の大きな立体看板、3人の老人が杖を突きながら泣いて来館、4週間後には、ピンと腰を伸ばして杖を捨てて帰る人形の看板です この町の湯は心臓の湯とか若返りの湯とか呼ばれていたようで、1500ベットが6つの温泉館にはあり、86名の医師が常駐していました

歴史をエビデンスに 医療として自然炭酸泉が使われているのです

これだ、陛下へのお礼は と私は心で叫びこの湯を汲んで持ち帰り分析して、開発を一時していたのですが、デジタル化で写真のフイルムがなくなるのを救わねばと 別の道に向かってしまっていたのです

この当時の8年位前のドイツの温泉で、このすごい効果の温泉に出会ったとき、この湯を入浴剤に開発しよう 600件以上の発明をしてきた発明家の私なら必ずできるそに思えました

2泊3日の温泉で過ごした後は元気はつらつ錠剤工場のあるハンブルグに飛び立つときは

体は軽々でした。 

当然 この温泉の湯をペットボトルに汲んで帰り分析してみました。ペーハーは予想と違って酸性ではなく 中世の重炭酸イオン泉だったのです

日本では、酸性の炭酸ガスが主流で 入浴剤もみな 酸性の炭酸ガスで設計され

コーラやビールのように数分で気が抜けてしまい、あとは色や香りだけが残る

炭酸ガス泉では 効果のないのは当然でした」」

中性の重炭酸泉なら、血管内皮にニトロNOが分泌し 血管を拡張し血流を上げるメカニズムで健康になるのは、1年前の1998年ノーベル生理医学賞ルイ・イグナロ博士で有名なストーリーでした。でも この後ドイツにたびたび仕事を装って出かけ分析するわけにもゆかず、現役のうちは日本でドイツと同じ温泉を探すことにし、日本中を旅してドイツと同じ温泉を探し求めましたが 大分県 てけだしの長湯温泉が全く同じ、ということを突き止め たびたびここを訪れ お湯を分析し 地下反応を再現できる、家庭用入浴剤のアイデアを探し、重曹とクエン酸を固める技術を試行錯誤していましたが、

2004年の定年後、デジタル業界のまとめ役で 業界共通の新しいデジタル写真規格を作り上げる役割が来てしまい、炭酸泉タブレットの開発は、すっかり忘れてしまい結果になっていたのでした。

ここで町田教会のお参りしたとたん 偶然かもしれないが、炭酸泉の開発を思い出してくれたのです、 まだまだデジタルアルバムの仕事がメインだとその時は思えたので その安藤さんという方に炭酸泉は開発して特許まで出願して上げ 差し上げようと何気なく思ったのでした

安藤さんという見ず知らずの ヘルスケアで成功しない破綻寸前の業者に無料で差し上げて、神様が言う 人を立てれば蔵が立つとなれば 、デジタル事業が浮かび上がれるかもしれない、ここで正しい信心を実践してみよう実行してみようそう思ったのです

これが本当に後になって私の会社を救う救世主になるとは思いませんでした。

人を救う気持ちが本物なら 蔵が建つのです

町田教会へ初参りの日の吉兆のローソクの華、これが神様のお知らせで

人を助けるを実践させ、あとでご褒美を下さり 神の格言が正しいことを知らせて

くれたのだと、数年たって気が付くのです

神様は私が子供のころから づっと詳細な人を救うプログラムを組づっと導いてこられたんですが

これもまだまだ気が付かず 後で気が付きます

朝参りのご利益でした。

今 町田教会を炭酸泉タブレットの発明発祥の地として 社員や業者さんまで

お参りできるような 教会にしたいと思って毎月1日は感謝祭を行っています

当時 朝参りを初めておよそ9か月後 、2010年3月に デジタルの会社はいよいよ行き詰まり 倒産という状態まで追い込まれます

2か月後の5月に 開発資金としてお借りした7000万円の返済期日がきますが、会社には全くお金はありませんでした。退職金4200万円、貯金1200万円、コニカやその他の株は4万株、5000万円程度で合計1億以上を使い果たし、そのうえ7000万円の借金 数か月後には返済しなければ破産以外ない状態でした。

此れでは5月になれば会社は確実に倒産します、自己破産するしかないという 状況が明確になってきました。

心はどんどん灰色になって行きました。

絶望の毎日  出口が見えない中で 毎日途方に暮れ 自己破産しかない状態に追い込まれます

でも、自己破産ではお金を返さず許してもらうということになり 潔くない、これは他人に迷惑をおかけする、潔く

生命保険で返そう、妻の貯金をお借りし 高額な保険に加入、自殺に見えないよう自分で片をつけよう、生命保険でお返ししよう、死んでお詫びするしかない?

 妻とは、お別れの儀式をし、泣きながらしがみつく妻を抱きしめ 

会社なんかやらなきゃ妻にこんな悲しい目に合わせずに済んだのにと思いながら

やっぱり皆が言う通りデジタルは金喰い虫だ、自分の部門の開発費が毎年3億以上だっかので自明の理だったかもしれないのに、そう思って、翌日は妻の小さな車でどこか事故に見せられずに死ねる場所はないか?高速道路で直角のところはないか>?群馬の方まで探して ゆきました、3日同じようにさまよいましたが 死ねる場所なんかないもんですね、

初めて経験した絶望のどん底でも 死ぬというのは簡単ではない なかなかいい場所はなかったんです

初めて地獄を味わいました。女房も同じだったと思います よく耐えてくれました

妻が、お兄さんの所に行こうよ、というので初めて兄にお金の話をしました。

姉が4人、兄が一人の6人兄弟だが、すごく仲が良い兄弟、お金の話はこの仲の良い兄弟愛に傷をつけるので、絶対しないと心で決めていましたが、妻があまりに進めるので兄に相談をしたのですが、兄は1、2分考えて 全部で7500万円だな 自分がすべて払うよ、お前も頑張ったんだから 死ぬなんてこと考えるな

安心しろ そのために俺は親の財産すべて引き継いだのだから、でもな 重治

仕事はやめろ、お前は仕事が好きだから また同じことやるからな、というのです 、私も数分考えましたが 仕事しないで生きられるか?絶対にここで約束したら、仕事せず生きなければならない 仕事好きの私が仕事せずは死んだほうが良いはず 兄に、それは無理だ もう一度自分でやってみるよ そう言って 兄には断り、万事休す ところが兄が親戚中にお触れを回し コメはあるぞ野菜は上げるぞ悪いことしたのではないから 堂々と生きて行けなんでも上げるぞ、ありがたい家族だなと親戚中に感謝でした、この後 津久井教会の親教会である横浜の神奈川教会にゆき、この会社の倒産危機をお届けしました 後ろに大塚さんという親教会の仲間がおりました。 この方が後ろの席で私のお届を聞いていて

岡山の岡東教会の高橋先生 札幌南教会の西川先生 大崎教会の田中元雄先生に 

小星さんの会社が大変なようです。祈って助けてあげてください と メールで回状を回してくださったのです。

これが私を助けてくださるきっかけになったのですが 炭酸泉ではないのです

金光教の信者さんは人を助けるのが信心なのですぐにmailを回してくださったのです

彼女がメールした教会の先生方は、皆さん心配してくださりました。

中でも岡山の岡東教会の高橋寛志先生は 1年前あなたにKJ法を教わるという形で出会わせていただいていたのは、神様がこの日を見越してあなたを助けさせるためだと思う。だからこれは神様のお計らいです 必ず助かります 毎日 メールでわたしとお取次ぎをしなさい。

絶対に助けるとそういうんです

 炭酸泉タブレットは安藤さんへ差し上げて、デジタルで生きてゆこうと思っていましたから この時はまだ、そう思ってました

そんな時、どんな先生でも、必ず助かるなど、よう言わんです、そしてとんでもないお取次ぎをしてくれました

それは 会社の経営をあなたがやるからダメなんです

社長を神様に代わってもらいなさい。 神様に経営を任せ、後は一切心配せず

足らない分は神様に請求書を出しておけばいい 神様を信じきってお任せすれば 必ず助かるのに、お願いしておきながら 心配する、それでは助からんよ

神様を疑っているから 心配する、

請求書出したら神様を信じて、どんと番頭をやる あとは 倹約して、毎日100人の助かりを祈りなさい それが修行です。人を祈り助けなさい

アルバム事業で助かるか?どうかはわからんが 神様は思いもよらない方法で

かならず助けてくれます

神様が社長であなたは番頭です 経営は番頭の責任ではないです

経営責任は神様ですから心配を捨て、安心して神様に任せなさい

>????でした

そして札幌の西川先生からも 明治時代の伊藤コウ先生の教話集を金光英子先生にお願いしておいたからお借りして 心配する心を捨て、心配する心で信心せよ (信じ切って神様に任せ心配しない)を徹底して学びなさい と言ってきました。偶然同じようn内容でした

心配は神様にお預けして 安心していればよい、、そういう教えです

そして金光図書館に電話し金光英子先生から伊藤コウ先生の教話集をお送っていただき、擦り切れるほど読みました。

湯川先生の教話集はCDを全巻買い求め 毎日車で聞き通しました

でも高橋先生に、何をお取次ぎいただいても すべて実行しても、心学んでも2か月間は こころは 真っ暗なままでした。不安は消えず 形は出来ても 心はなにも助かりませんでした。安心など程遠かったです

商売は何一つ変わらず、まったく売れないのですから 助かるわけがないのです

どう考えたって 高橋先生無理ですよ 借金の額が大きすぎて助かるはずないですよ

 神様だって 無理だと思うよ そうしか思えなかったんです

神様に社長を任せたって どうにもなるものではない1,2か月そんな感じでした。

心は全く晴れないまま、 高橋先生から 神様にお願いして心配するのは

神様を信じていない証拠 無礼です一切を神様にお任せしきって安心して信心しなさい。

先生も 湯川先生の教話集でも簡単に、そう言いいますが 不安で不安で死にたいくらいなんですから 頭でわかっても理解は出来なかったですね

 最初の2ヶ月は全くだめでした

最初の危機が3月でした そして4月半ば5月末の返済期日まで1か月、悶々と悩んで 絶望の日々でした、ふと 何を頼んでも妻のことは一切疑わず信用しているのに、なんで 神様を信じきれないのだろう? 

妻より神様が上なはずなのに? お願いしても本当に助かるとは思えない

まるで信じられないですからね、疑っているわけではないですが 現実に安心できない、ということは神様を信じ切ってない証拠なんですね

 四六時中 やはり心配している 、これは御無礼だな、初めてそう思いだしたのが4月の末 そう思い始めました。

それでは 神様は手を出さない そんなに心配するなら自分でやれ と神様は手を引っ込めてしまうはずや神様は真剣に経営してくれないはずだ、そう思えてきたんです

悶々と今までのこと 考えてみたんです

すべて 自分で生きてきたと思っていた事は神様がみちびいてくださっていた、

今日話してきたようなことを思い浮かべたんです

全て神様が導いてくれていたんだ すべて神様のお計らいじゃないのか??

神様 以外 どうしてここまで導ける??神様の仕業以外の何者でもないじゃないか?

私の人生の経過を見れば  常にすべて良いようにお計らいくださっている

炭酸泉も開発し特許まで出してあげて人に差し上げた、神様の言う通り

人を助けてあげたのだから わが身も助かるはず

この先も倒産するはずがないじゃないか

神様を信じろ、一目瞭然神様に助けられるはず 神様のなさることは1分の狂いもないはず

いま考えれば 皆 神様がやってくれた絶妙のタイミング、絶妙の技でここまでこれた

ならこの先もおまかせすればいい

絶対絶命の中で助けるのが神様 必ず助かるはずだ

そうでなければ 今までの事はみな無駄? 破産してもよいではないか!!死んでもままよ

神様を信じるなら 一心に願えだけだ、 そうだ若いとき 一心とは死ぬことと KJ法で解明したはず どうせ 一度は自殺を覚悟した身 死んでも良いと信じ切ればよい

助かろうとするから 神様を信じ切れない 死んでもよいと覚悟し神様を信じ切る

そうだ今度も必ず助かるんだ そう思えて ハッとしました

助かった!!!  歓喜しました、お任せし切ろう

考えれば 今まで、ものすごいおかげを戴いて、すべて一切の無駄もなくここまで生かされ進んできたではないか? 

そういう神様がここで私に破産させるはずがない 死んだ気になって神様に任せよう

そうだ

死んだと思って 神様に社長をお任せしきろう、この命を神様のお手伝いに生かそうとここで誓いました

神様の社長に仕える うれしい気がしました

初めて心が助かりました

本当の一心とは 死んでも ママよ という覚悟で神様に尽くすこと、若いときはあたまで知ったんですが 改めて身をもって深く理解し良くわかりました

これが一心に願うということ

そうわからせていただきました。そこからです おれは神様に愛されているんだ」そう思えてニコッとしたような気がしました

ここからは びっくりするような不思議な、神様の離れ業、奇跡の連続がおこり始めます

まず 国の銀行 日本政策金融公庫の調査役早瀬氏から電話があり、小星さんところはすばらしい技術がある 負債を全額、借り換えしませんか、 絶対に成功してください

というんです

うっそでしょう

狐につままれたような話でした そして嘘ではなく すぐに1週間で実行してくれました

今でも誰も信じません 国の銀行が破産している会社に向こうから金を貸すか?です

振り込まれた翌日 多摩信用金庫分2900万円を返しにゆきました。冗談じゃないうちも 商売です 国の銀行に邪魔されたくない、返してもらなくて結構です困るもんじゃあないでしょう、再建計画に使ってください。完璧な土台を作ってください

そして2900万円 余裕資金があまってしまいました、これで再建計画をじっくり実行できる そう思ってお金はそのまま預かることにいたしました

数週間ほどたったころでした、安藤さんという方のために入浴剤を開発してあげて 製造はコニカの工場東邦化学にお願いをしていたのですが、このコニカから電話がかかってきました。小星さんに頼まれて 開発し 製造している 安藤さんの入浴剤です

未払いと在庫の山で、2900万円も損害がでています

えっ、あのお金とまつたく同額?、これにもびっくりです

とにかくもう安藤さんとは取引できない 生産を中止します、というんです

うそでしょう

神様この炭酸泉事業を私にやっれってことですか>

そうか神様は安藤さんから炭酸泉を返させこれで事業をやり直せ、そういうことか? 安藤さんのためにしてあげたこと どんなにほしくてもこれを返せとは言えない あげたものを取り上げる事はできないが 神様は私にこれで人を救えと返してくださるんだ。そう思いました、これで私の会社を助けるという事か、そう思いました、そして安藤さんにはこう伝えました。コニカがあなたのためにはもう作らないといっているから これで生産が終わってしまうより、私が薬事法の認可をとって 製造販売をします、あなたにあげた 製造権と特許を返してくれますか? 

あなたには私のブランドで 1錠2円で結構です管理費程度で生産して卸して差し上げますから、販売はそのまま継続できますよ、2900万円はあなたのために私が立て替えます

そう言って2900万円を工場に支払い生産が再開されました

神様は 最初から 人の健康を救う炭酸泉事業を私に発明させ 私にやらせるつもりで、難儀を与え 私の信心、おかげの受け皿をちゃんと作らせ 信心を高めさせてから  返してくれたんですね

これが高橋先生が、会社を神様に預けなさい、そして神様信じきれえたら、私を助けてあげます、その助けるって デジタルのほうではなかったんだ、そうか炭酸泉か

デジタルだったら もうとっくに倒産だったよな そう思いました

神様は すごい助け方を仕組んでくださっていたんですね。神計らいは、人知では計れない その通りでした。予想もできない助け方でした

だから神様は信じるべきなんだ 信じないと損だよと、よく親父が言っていたがその通りやな、そう思いました。 まだ 倒産って決まっていないうちから

町田教会にお参りを始めさせ 助ける準備をしていたんですね

高橋先生に出合わせ 、助ける準備をさせる

その時 炭酸泉を開発してあげようという方に出会わせ 開発して差し上げさせておく

一生懸命開発し 特許まで私のお金で出願し 安藤さんへ上げさせ 人を助ける修行をさせる 、 結局 私のためだったのです 人を助ける事 それは、すべては自分のためでした

純粋に人のため 人を助けると思ってやっていると 必ず 自分を助けてくださる

神様のお計らいです  

神様はもっと徹底しています

安藤さんは 私に 助けられたと思わず事業を取り上げられたと勘違いし 私の処方を持ち出して 韓国での生産がもっと安く作れるはずと私をだまし処方を持ち出して自分から韓国へ逃げてしまったんです

韓国の業者の誘いに乗って 韓国へ偽物作りに処方を盗んで逃げてしまったのです

自ら 私のところには二度と顔を出せないような裏切りをして 自分から 出て行ってしまい

私は生産だけでなく 晴れて販売も何もかも炭酸泉事業を自分でやることになり

この事業がすべて私のところに帰ってきてしまったというわけです

今では 年商 3億円 3年後には10億円企業を目指して急成長企業のレールに乗っかりはじめ、天地の懐に手を突っ込むかもしれないという状況になってきたのです

大したことになって来たなと思います、 さて会社の経営は神様がどんどん大きくしてくださいます

このお礼に 私は何をするのか、 当然 神様への御礼は人を助ける事です

まずは社長が神様の会社ですから

会社では毎月1日は月例祭を町田教会で行います 会社の幹部は全員出席です

もちろん全社員が参加するのは難しいですが

できれば

全社員で町田教会にお参りし年頭祈願祭をしたいですが 宗教はどんなに素晴らしい教えであっても 無理強いはできない 

何周年記念 とかいう 記念祭には岡山から高橋先生に来ていただき

祭主をお願いし町田教会の若先生には参員をお願いしてお祭りをしていただく程度です

当面の目標は

社員 100人の会社を目指し、日本一社員と家族が幸せな会社を作ろう

100人社員で 岡山のご本部にお礼の参拝ができたら これを夢として実現できるよう頑張ってゆこうと決めています

いま日本では、2人に1人が癌です 介護は女性が平均12年 男性でも10年介護受けないと死ねないんです

老老介護で殺しあう時代 東京では 孤独死が年間4000人もいます

さみしい限りです 

そして4人に一人が認知症です  そして世界第6位の自殺大国

3万人も毎年自殺でなくなります、新しい会社は年間10万社もできますが 

10年以内に90%が倒産しています

今小学校のクラスの半分近くが片親ということです、そして平均賃金が280万円台の貧困家庭が 圧倒的に増えています

ですから炭酸泉で人を助けるには この商品を不意給させればよい

そう思って

知り合いが 癌と聞いたら 次の日岡山に飛んで行って 御本部にお届けし

御本部で戴いた 御神米 と高橋先生にいただく お神酒を もって皿の炭酸泉をどっさりもって 御見舞いします

必死になってその方の回復を祈って差し上げます

高橋先生にお届けし その方の回復をお願いし メールで高橋先生のお取次ぎを受けるよう 説得し、おかげを戴くよう 熱心に進めます

このメールがすごく有効なんですね

高橋先生は どんなに 末期がんの方をお願いしお取次ぎいただいても

 必ず絶対助かる 助かるからお引き寄せくださったのだからと言ってくださいます

神様を信じ切った信念で 接してくださいます

一人一人の難儀に向かい合います

この神様はどんな難儀でも絶対に助けて下さるはずという 信念です

どんな先生でも絶対助かる と言い切る先生はなかなかいないですね

むかし湯川安太郎先生は 俺の目の黒いうちは 大阪には爆撃機は来ない

空襲はないという お取次ぎをして 教団から叱責され いさめられたと聞きました

でも神様をそのくらい信じましょう、私はそう思います

そして去年7月から高橋先生にお願いしお届けしていた 白血病の橋本晋一さんも完全復活し 大久保法子さんも がんを手術しましたが 前と全く変わらないように全快させていただきました

心肺停止で 3日間全く寝たままで冷たくなっていたような小板橋先輩や三略会の橘先生のお2人も助けていただきました

御本部へお参りし 高橋先生にお取り継いただいて ご神米をいただきお届けし

お二人も救えました

ただ 残念ながら 亡くなり 助けられなかった方もおります、でも亡くなっても助かるのです

そのお2人のお話しをしようと思います 

一人は私の妻の姉さんの旦那さん奥住さんという方です

3年前  先ほど 心肺停止で助かった方とか 倒産しそうな会社の社長とか 15人ばかりの私が神様にお願いし助けていただいた方をお招きし全社員とともに、創立7周年の発展祈願祭を金光教式で 京王プラザホテルでお祭りいただきました、祭主は高橋寛志先生に岡山から来ていただき町田教会の若先生とお2人でお祭りをしていただきました。

まだこの段階では炭酸泉もあまり売れていませんでしたが 売れてからではなく 売れないうちに神様に御礼しようと思ったのです。

ここには倒産必至のようなこまっていた企業の社長さん達も、今まで金光教で助かった方もお呼びしてのお祭りでした

ちょうどそのころ、妻の姉の旦那さん 義理の兄の奥住さんという方が半年前から白血病を発症し、抗がん剤の治療をしていたので 信心なんか絶対にやらなそうな兄だったのですが なんとか助けようと このお祭りにお呼びしました

ちょうどその日が 一時退院で明日再入院という日だったものですから 遠くの岡山から高徳な金光教の先生が来るから直会だけでも 出席しておかげ戴かないかと誘ってみたのです

無理だと思ったのですが 奥さんに連れられ出てきました

抗がん剤で頭に毛はなくマスクをして いかにも憔悴しきったみじめなすがたでしたが お参りし 高橋先生から 町田教会にお参りするよう 信心すれば 必ず助かる そういうお話をしてくださいました。

病気が助かりたいという気持ちがあったのか 予想もしないほど素直に信心を初めてくれました

必ず助かると高橋先生が保障してくれたんで 義理の兄は熱心に金光教の勉強を始めてくれたのです、

病院から毎週くれるはがきには 教祖様が夢に出て来てくれたとか 数か月で 本当に心が助かったように 夢中で信心してくださいました

そして一時退院のたびに町田教会へ参拝してくれていました 

亡くなるまで 短い1年半でしたが、本当に心が助かっって 辛い抗がん剤の治療を、感謝とか ありがたい とか いっぱいの金光教への感動を手紙で書いてきてくれていました 其のおかげで70歳過ぎた高齢者ではなかなかやってもらえない、臍帯移植の手術を受けられるというありえないおかげまでいただき 、一旦は白血病も完治したかと思うくらい奇跡的なおかげを頂き ゴルフを再開するんだと靴まで新調して喜んでいたのですが、突然感染症で肺炎を併発し なくなりました

2014年3月10日でした  急に亡くなられました、町田教会のみたままつりの2日前でした

町田教会の川越先生に亡くなる前日の9日に病室から書いて出した手紙があります

その手紙には、次のように書いてありました。

「無理せず、油断せず、何にでも感謝して、全て『神様に任せ切る信心を』の修行を心掛けております。これから再出発の気持ちで、家内には特に思いやりと感謝の念を強くし、心穏やかに暮らします。欲を無くし、楽しく心豊かに過ごせることが、どんなに幸せであるか、この病気をしたおかげで、大きな財産として頂くことができました」

何故なくなる直前に 心豊かな手紙が書けるか不思議ですが

心が完全に助かっているんですね

仲良くしていた弟分的な石屋さんへもこの日に手紙を書き

お彼岸には退院し帰るから 丈夫なうちに、お墓をつくる準備を始めたいので、材料を頼むと設計図まで入れて 墓碑には 天地 と和賀心という文字を掘ることにしていました

奥住さんは日ごろ奥さんに感謝するという感じの方ではなく正反対のわがまま放題の方でした。それが、奥さんへ思いやりと感謝の念を強く示し、心穏やかに暮らす喜びを感じていたんです

奥住さんはたとえ病気が再発しても、揺るがない心をつくっておられたのです。

心が完全に助かっていた これが 死んでも 生きても 助かるということで

教祖様も高橋先生はうそは言ってない のです これが本当に助かるという意味なのです

翌日の御霊祭り では 町田教会で有名な霊感がある目の見えない青年がいるんですが 小星さんの後ろに奥住さんが袴をはいて お礼を言われてますよ

そう言われてびっくりしました 御兄さん来てるんだと手を合わせました

その青年が言うのに、「とにかく、小星さん夫婦に感謝しているといってます」ということでした。金光教の信心に導いてくれたことで、心が助かることができたことを伝えてほしいというんです その方はこの間兄の事情も何も知らないんですよ

心が助かるおかげを頂かれれば、その人生の目的の大きなものは達成できたと言っていいと思うのです。ついつい、死んだらおかげがなかったように思ってしまうのですが、たとえ死んでも、心が助かるおかげを頂いていることを見逃してはいけないと思うのです。そういう意味でも 困った方をどんどん救うべきなのです がんの方は心は地獄なのですから

神様に心預けるだけでも、家族も含め幸せになれます

がんが治って生きるだけがお蔭ではないのです もちろん治れば別ですが

もうお一方の例ですが、この方は私のところの女子社員の方の旦那さん、当時はバイトさんの旦那さんでした

3年前に癌を手術されて 前の年のイベントにも来てくれていました

病気は良くなったと聞いていたんですが 再発していたんですね

2014年の8月に私の家に 2人で車で来られました

癌の末期で、おなかは腹水がたまり  大きく膨らんで運転もやっとのような状態で運転をしてきたのです。もう助からないそういう感じでした、そのまま町田教会にお連れしお届けさせて、さらに 高橋先生とのメールでのお取次をお勧めし アドレスをお教えしました、毎日町田の川越先生にも高橋先生にも心の助かりをお願いしようと思ったのです

忙しい先生方に末期の助からないはずの方をお預けしても申し訳ないのですが  絶対に助かます、助かりましょうと励ましていただきたかったのです。

そしてすぐに御本部にゆき 天地書付とお社を買ってきて奥様にプレゼントし 高橋先生にいただいた教主様からの戴きもののお神酒を差し上げ 体に吹きかけ拭いてあげてと頼みました、奥様の明美さんが実行してくれたそうです

このことから奥さんも先生のメールでのお取りつぎを始められ一緒に助かりたいと 始めてくれました、案の定 先生は神様が助けるために出会わされたのだから、必ず助かるはずです」ご自分でも絶対よくなるという信念を持って、「完全円満健康体である、絶好調と何度も毎日言うようにしましょうといわれ、「病気はお礼の催促です。今まで健康であったことにお礼が言えてなかったことのお詫びをし、そして、病気になるまでは、健康であったことをお礼しましょう」そして絶対に助かると神様を信じましょう とメールでお取次をくださっていたそうです

絶対助かる、と信念を持って、病気に立ち向かいなさい 死ぬ用意はいかんです

生きぬく用意をしなさいとお取次ぎをされていたんですね

私も、絶対助かるという信念で 御本部にお参りし 町田教会にもお届けし、奥様がお参りもしてくれておりました 

ご主人の祐一さんも、素直に教えに従われ、「そういうことを考えたことがありませんでした。お詫びとお礼をさせていただきます」と、人間としてヨイあり方になっていかれるよう、努力されたそうです。

非常にこころ優しい方だったので看病される奥様にも迷惑かけてはと弱音も吐かずにいたことから 先生には心の内や自分をさらけ出し 弱音も言え、また、金光教への お礼と感謝の心で生きるという教えで、これさえやれば必ず、絶対に助かるという神様への信頼に触れて 心がたすかって 行ったのだと思いますが

メールのやり取りを後で見せていただくと 本当に心が助かっていた様子がわかりました。でも、だんだん病気が重くなり、会社にも行けなくなり、体に水が溜まり、パンパンになってきたのです。

しかし、西洋医学の医者の他に漢方医にも診てもらっていたのだそうですが

漢方医からは、病状は悪いのに、「生きる活力」の数値がすごく向上していると言われたそうで、その話を奥様から聞いてひょっとしたらとは私も思いましたが結局は亡くなれらました

先生からお聞きしたお話ですが

最後の段階で

九州の矢野クラ先生と恩師の安武松太郎先生とのやり取りをメールに書いて励まされたそうです

その話は

33歳の矢野クラ先生が、ちょうど祐一さんと同じように 腹水で体は腫れ上がり瀕死の病床にありましたが、いよいよダメかと思われ、よし、途中で死んでもよい。お教会にお参りして親先生にお目にかかり、心行くまで、お礼お詫びを申し上げ、この世のお別れを申し上げて死なせていただこう」と、決死の覚悟でお参りし

最後のお別れにお参りしましたと告げたそうです

ようやくたどり着いたクラ先生を松太郎先生は体はぶよぶよで、内心、「これはもたんな こんな体で、よくお参りができたものだ」と思いながらも、先生は 

「矢野さん、あんた、生き別れに来たとは、信心を下げたものだな・金光様は死ぬ用意をすな、生きる用意をせよとおっしゃっておるではないか。今まで何を信心してきたんだ死ぬ覚悟をしているなら、これからが本当の一心の信心にならんければいかんじゃろう なぜ、その覚悟をもって生きる用意をせんのか。自分は今死んでも、よかろうが あなたを生かすために、三十三年間御苦労下さった神様の損は考えたことがあるのか。病気が命取りなら、信心も命がけじゃ」と。

生きよと励まし、あんたは死んでもよかろうが、生かそうとここまで面倒見た神様の損は?ご恩は?どうして報いるつもりか」と、強くお諭しになったそうです。

じっと聞いていたクラ先生は、涙ながらに、「私が間違っておりました。どうぞお願い申し上げます」と、ひたすらお詫びし、心からお礼を申し上げ、命は神様にお任せして、一心におすがりしますれば、何とぞ体を調え、絶対に助けてくだされ・・・」と、御祈念を凝らして下さったので、回復のおかげを受けられた。とこの話を祐一さんにメールで伝え 睾丸がスイカのようにブクブクになっても助かるおかげがあります、 自分の命を投げ出し神様にご恩返しをさせてくださいという気持ちが大切です。生きるという気持ちを強く持ちましょう神様のお役に立つために どうぞ助けてください、とお願いしましょう、とメールをされたそうです

祐一さんのメールも、神様にどのようなお礼をしようかと考えだしていたところでございました、というものだったようで 

本当に祐一さんは 神様のお働きを感じ、そのご恩にどうして報いさせていただこうか、と自分でも考え出しておられたようです

そして、お世話をしてくれて大変な思いで毎日頑張っている家内を救って下さい、というメールをされたそうです

自分が病気で大変なのに、自分のお世話で大変な奥さんを助けてほしい、と人の助かりをお願いされたのです。

まさに心は人のことを祈り、助ける神のようになられていたのですね

祐一さんはその後数日で様態が急変し、亡くなられました。でも祐一さんは

最後まで、良くなるという気持ちを強く持ち続けておられた様です

亡くなられる少し前のメールでも、「体はこんなにひどい状況なのに、気持ちは前向きなのが自分でも不思議です。これも神様のおかげなのでしょう」と書いてこれらたそうです

最後まで、神様を杖についていかれました。そして、祐一さんの思いを奥様はくんでお葬式は、金光教式でされました 

私が一切を町田教会の川越先生にお願いし、葬儀をおねがいいたしました、たった2カ月の信心でしたが 最後の段階で教徒になられ 長い闘病で お金が無い中 川越先生は全く心配要らないからなという事で気持ちよく 祭主を引き受けてくださいましたこの方も体は亡くなられましたが、心はすっかり神様に預け 助かられていたのです。

そして、奥さんも、メールで別途 お取次ぎいただいていたのですが

お取次をいただけて良かったです
裕一がお取次をいただいた期間は約2か月半ですが、大変濃い時間でありました。私の勤務先の社長の小星さんからの紹介ということでしたが、裕一は抵抗なく金光教の神様へお取次をいただくことを始めました。
本来なら、裕一だけがお取次をいただくことで十分ですが、 厚かましくも妻の私まで毎日本当に助かりました

私は私で裕一にはなかなか言えない、治療費が多額、収入が減った経済面の不安もありましたので、状況を知ってくれる信頼できる神様と先生がいるということが、どんなに心の平穏を保つ助けになったことでしょう。
裕一が、私達家族には言えない弱音や不安などを先生を通じて神様に届けていただけたことは、彼の心の助けになったことと思います。今になって、裕一のメール送信を保存していて、お取次によって、心に不安がよぎっても、安堵感が得られ 大安心で入ったことがわかり 感謝しております、体は悪くなっても心が穏やかに助かっていたこと救いです、絶好調!完全円満健康体!の気持ちを最後まで持ち続けていたことがよく分かります。
入院中は、毎日金光様が来てくれるから、安心だと言っておりました。毎日の無事を感謝し、神様のおかげをいただいていることの感謝をメールで伝えることで、不安感を取り去る気持ちが脳と心にインプットされる作用であったのだと思います。
私が驚いたのは、亡くなる15時間前の最後のメールで す。
それまでは、自分の癌の完治と私の健康をお願いしていましたが、最後のメールで「仕事と私の世話に追われる妻が救われますよう、癌の完治と共にお祈りいたします」という文です。私を救う?
私は彼の世話はちっとも大変と思うことはなかったですが、それは、神様が、「救う」という言葉を聞き入れてくださって、楽に看病させて下さったのだと思います。
もうすこし時間があって、抗癌剤治療さえし無かったら、きっと癌も静まり、神様が体を修理できたかと思いますが、彼の最後に 金光様にお会いでき お取次をいただけて、「満足した」という表情の裕一は、金光様のお導きで天に行くことができました。
裕一は命をかけて私を守り、愛情をそそいで支えてくれました。
私達の状況を知っていてくださる先生と金光様がいらっしゃることは、私達にとっての大いなる安心でした。これからも私たち家族は金光様を頼りに信心してまいります
紹介してくださった社長に感謝、先生のお言葉がいつも私達を励ましてくださり感謝いたします。これからも家族は金光様と共に生きてまいります

以上ですが、

絶対治ると信じても こういう例があり 奇跡ばかりとはいきません

でも願ったような奇跡ではありませんが、裕一さんの信心をここまで進める奇跡を起こして下さった神様と金光教の先生のお取次ぎに感謝し やはり金光教は 人を救う宗教であり 世間に何ぼうもおられる難儀な方をみんなでお手引きしようではありませんか

それが 運動とかではなく 自然にできる ひとを救えば

必ず自分の家の繁盛 教会の繁盛 教団の繁盛、会社の繁盛につながるのですから

形はどうでもいい 神様のお役に立つとは、人を助けさせていただくこと

そのことを少しでも実践すること、人のことを祈り助け導くことが、人生の

意味なのではないでしょうか」

天地の親神様を信じきって 絶対助かる 絶対助ける

今日も絶好調と難儀な方を助けてまいりたいと思います

私どもの会社は天地の親神様が、社長です

私や社員は番頭です

人の健康に寄与する神様の事業を進めることが、社是となっております。

会社の経営を通じ 社会に金光教の教えを顕し、神様の願いを実現するお手伝いをさせていただくのが、経営方針です

小星重治